外国語習得法講座 その3
学習は短期集中
2. 語学の達人は、どこかで短期間に集中して勉強に取り組んでいる
よく学校では、毎日少しずつでもいいから学習を続けなさいと教えられます。しかし、果たしてそれで本当に外国語が習得できるのでしょうか?言語とは、毎日起きている間はずっと使い続けるものです。私は、本当に外国語の能力を飛躍的に上達させたいと思うのなら、「短期集中型学習」がもっとも効果的な学習法だと思います。
どの語学の達人も、実は外国語を習得するためには、ある一定期間に大変多くの時間を費やして集中的に勉強していることが多いのです。16ヶ国語の翻訳ができるカトー・ロンブはこうも述べています。
「外国語学習に費やされた時間というものは、それが週単位の、またもっと良いのは一日単位の一定の密度に達しない限り、無駄であったということになります。」(ロンブ1981,p.67)
もし彼女の論が正しいとすると、速度の遅い学習は全く意味がないということになります。しかしここでは、速度の遅い学習が無駄かどうかという問題はおいておき、短期集中型学習の他の実例を挙げたいと思います。
12か国語話せるピーター・フランクルは、ドイツ語を勉強している時、ひょんなことから、夏休みの三週間をオーストリア人夫婦と過ごすことになり、その時のドイツ語漬けの生活の感想をこう述べています。
「ぼくのドイツ語に対する態度はがらっと変わりました。結局、いまでも人によく勧めている方法のひとつはそこから始まったと思うけれども、やっぱりある期間に集中して勉強することです。ぼくのドイツ語の能力は、たぶんその三週間でそれまでの何年間かと同じぐらい伸びたのではないでしょうか。もちろん前提がなければ、つまり基本的な文法や単語がわかっていなければ、三週間では何もできなかったと思いますが、いちおう基礎があっての上での三週間だったので、単語や言い回しをたくさん覚え、聞き取りができるようにもなって、すごく大きな進歩でした。この三週間は、ハンガリーにいながら、結局は留学でホームステイに行ったのと同じだったのです。」(フランクル1999,p.10)
また彼は、フランス語を学習している時、イースターの三週間の休みを利用して一人別荘にこもり、400ページ近くあったフランソワーズ・サガンの『冷たい水の中の小さな太陽』を必死に読んだといいます。暖房器具もなく、食料も殆どないその不便な別荘で、一日中その本を読むことだけに集中していたのです。彼はその当時、フランス語を学習し始めてまだ数ヶ月しか経っていなかったのですが、3週間後、見事その400ページもある本を読み終えることができました。彼はその3週間集中して勉強したことですごくフランス語能力が進歩して、一気にクラスで一番できるようになったと述べています。
彼はフランス語以外のどの言語でも、短期集中で勉強して習得しています。
ピーター・フランクル以外にも、私が参考文献を読んだだけで10人以上の人が、「短期集中型」の語学学習はとても効果的だと述べています。やはり、ある一定の期間、勉強中の言語を集中して学習する環境に自分を持っていくことが重要なのではないでしょうか。たとえ留学したとしても、そこで日本人とばかり話していては、その人の「その外国語に対する集中度」は低下し語学力は殆ど伸びません。逆に、留学せずに日本にいたとしても、その人が努力して一定期間かなり集中して語学勉強に励んでいれば、その人の方が語学力が伸びている可能性は高いのです。現に、16ヶ国語の翻訳ができるカトー・ロンブは、それらの外国語を殆ど自国を出ることなく習得しています。彼女も外国語を学ぶ時は、常にその言語の習得に彼女の全精力を傾けていたのです。
短期集中で勉強するということは、それだけ一日の中でその外国語に触れている時間を多くするということです。そのためには「自分で自分のいる環境を変えること」が必要です。学生運動時代に大学生だった鹿島茂は「私の外国語上達法」の中で、語学学習に適している環境についてこう述べています。
「語学の最高の環境は刑務所であり、反対に、語学の最大の敵は自由である。つまり、やりたいことが山ほどあり、すべての事象に好奇心がむいてしまうときには、語学に神経が集中できるわけがない。語学の学習というのは、一意専心、語学的上達だけを心がけ、ほかのことに一切関心が向かないようにすることが必要だが、我々の時代環境はまことにもって不向きなものだった。」(安原編1994,p.183)
彼の言う通り、語学学習においては、障害は少なければ少ない程いいのです。そのことに対して、詩人・翻訳家の田村隆一は、こういう提案さえしています。
「今の語学教育についても一言。戦時中日本語を学んだドナルド・キーン氏の例もあるように、本来、語学とは1年間で、ある程度マスターできるものだと思う。キーン氏が一年間日本語を学んだ後の試験には、幸田露伴の文章が出されたという。本当に語学を学ぼうとするなら、高校二年くらいの1年間、英語なら英語だけを集中学習して、あとは体育と音楽のみにした方が、ずっと効率的だとぼくは思う。」(安原編1994,p.43)
しかしこの方法は現実的にはまだ不可能です。また、語学環境を整えることの難しさについては、日本イタリア料理協会事務局長の室井克義もこう述べています。
「外国語を習うには短期集中がよいといわれる。しかし、趣味などがその下地にある場合は別として、やはり環境や条件がそろっている必要があるので、一概に短期集中法が万人向きとはいいがたい。」(安原編1994,p.194)
けれども、短期集中で語学を学習する環境を整えるのは、本当に難しいことなのでしょうか。私は、その環境を整えるのは自分の努力次第ではないかと思います。語学学習に集中できる環境作りは、その人の努力次第でどうとでも作れるのではないでしょうか。ピーター・フランクルは、気軽にできる語学の環境作りをこのように述べています。
「(前略)そう考えると、いかに自分の家の環境づくりが大事かわかります。英語の場合だったら、家では直接聞いていなくてもいいからラジオのFEN(Far East Networkの略※現AFN)をつけっぱなしにしておくとか、英語の文章をトイレの壁などに貼っておくとか、自分の単語帳のページをいたるところにおいておくとか、英語の歌を流すとか、食器洗いや、洗濯のときにも、テレビの芸能番組ではなく、英語が流れる環境のなかにいるようにするのです。そうすると、けっこう滞在的に覚えることも実際にあるはずです。」(フランクル1999,p.115)
彼のように工夫すれば、自分の学んでいる言語に集中できる環境を整えることは決して難しいことではありません。環境作りのためにあまり力まなくても、工夫次第では、その学習中の言語に囲まれる生活を送ることもそう難しいことではないのです。
そこで今度は、私の「短期集中型」学習の経験について述べてみたいと思います。
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