外国語習得法講座 その2
外国語に対するイメージを変え、自分の能力を信じること
2. 外国語を習得するために必要なものとは?
しかし、いくら外国語に対する意識が大切と言われても、「外国語を習得するためには、何か『特別な才能』が必要なのではないか」と考える人が出てきます。けれども、私は外国語を習得するために特別な才能など必要ないと考えています。もし必要だとしたら、母国語さえ習得できない人がたくさんいるはずだからです。ここで、10ヶ国語の通訳、16ヶ国語の翻訳ができるカトー・ロンブの言葉を引用したいと思います。彼女は外国語に関する才能の必要性についてこう述べています。
「いいえ、特別な才能など必要ありません。わたしの考えでは、芸術を除くあらゆる人間による活動の成果とか効力とかいうものは、関心の度合と、この関心の対象を実現するために費やされたエネルギーの量いかんにかかっているのです」(ロンブ1981,p.10)
また、12か国語が話せるピーター・フランクルも、
「ぼく自身も特別な言葉に対する才能があったわけではないと思っています。ぼくが日本語をかなりしゃべれるようになった背景には、旺盛な好奇心と、大いなる努力が隠れています。ですからぼくは、語学ができるかどうかは才能の問題ではないと思っています。」(フランクル1999,p.82)
と述べています。一般的に、外国語を習得するためには何か特別な才能が必要なのではないかと考えられがちですが、このように何ヶ国語も話せる人々は、特別な才能の必要性を否定しているのです。つまり外国語習得に大切なのは、この二人が言うように、
いかにその言語に関心を持ち、どれくらい学習のために時間を費やしたか
ではないでしょうか。「外国語が習得できない」と嘆いている人々の多くは、語学学習に対する「情熱」と、それにかける「時間」が圧倒的に足りていないだけなのです。その人の能力が欠けているわけでは決してありません。
評論家の関曠野は『外国語をどう学んだか』の中で、フランスで刑務所に投獄された日本のヤクザの男が2年間の服役中にフランス語がペラペラになった例を挙げています。
「どうみてもインテリではなさそうなこの暴力団員が短期間でフランス語をマスターできたのは、やはり刑務所というこの世でもっとも過酷な社会で生きていかねばならないという極限状況に置かれたせいだろう。そしてもちろん、人は刑務所には強制されて入るものである。異常な状況と強制が彼を語学の達人にした。つまりこの男の例は、人間は誰であろうと外国語を見事に身につける能力を持っているが、そうした滞在的な能力が発揮されるためには少々アブノーマルな状況や強制が必要なことを物語っているといえよう。逆にいえば、大方の人間は日常生活に支障がないかぎり外国語を学ぼうとはしないものなのである。」(現代新書編集部編 1992, p.34)
つまりこの例は、ある程度自分に努力を強いて頑張れば「誰もが短期間の内に外国語を習得できる」ということを証明しているのです。だから外国語を習得する第一歩は、
「外国語に対するイメージを変え、自分の能力を信じること」
から始まります。「外国語は誰にでも習得できるものなのだ」という意識を持つことが大切なののです。
次は、語学学習に最適な学習体系「短期集中」について述べたいと思います。
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