外国語習得法講座 その4
文法の必要性
4. 真の文法のあり方
私はここで、外国語学習で最も重要な「文法の内在化」について述べたいと思います。まず、「文法の内在化とは一体何か」を論じる前に、簡単な例から文法について考えてみましょう。
私たち日本人は、日本語を話す時、日本語文法について考えることは殆どありません。小学校の国語で、初めて日本語の文法を学習することになって、形容詞の活用、動詞の活用などをいきなり教えられ、「自分たちはちゃんと日本語が話せるのに、なぜ今ごろこんな複雑な活用を覚えなきゃいけないのか?」と疑問に思った人も多いことでしょう。そう、母国語を習得する時は、別にその言語の文法について考える必要はないのです。考えなくても自由自在に使えるのです。
ということは、私たちが外国語を本当に習得しようと思うのなら、その言語の文法も、最終的には考えなくても済むぐらいになるのが理想的なのです。よくリスニング教材の宣伝の中に、「英語を聞く時、いちいち日本語に訳して理解するのではなく、英語を英語のまま理解できるようにならなければならない」というようなことが書いてあります。この宣伝が注意していることは、私の言っていることとほぼ同じことです。つまり、英語をいちいち日本語に訳して考えてしまうということは、英語の「文法」をいつまでも意識しながら理解しようとしていることに他ならないのです。人が英語を英語のまま理解できるようになった時、その人はもうあまり英語の文法を意識していないのです。私たちがもし本当に外国語を習得したいのなら、その言語の文法を意識しないで使えるレベルまで到達しなくてはなりません。
それでは話を「文法の内在化」に戻しましょう。私は今までの自分の経験から、外国語習得に一番重要なことは「文法の内在化」だと分かりました。もちろん初めから自分が過去に体験したことが「文法の内在化」だと理解していたわけではありません。では、ここでまたカトー・ロンブの意見を借りることにしましょう。私は彼女の文章を読んで「文法の内在化」について考えるようになったのです。彼女の経験に裏付けられた意見は、大変説得力があり、分かりやすいです。
「法則は自覚されるべきものです。精神文化の無限なる地平を旅する大人は、他のどんな旅の場合もそうであるように、道標を探し求めるものなのです、彼は、ルールや法則を自覚しようと欲するものなのです。ただし、法則が見出され自覚されたなら、その人の行動はことごとく無謬となるなど期待してはいけません。法則は原則にすぎないのです、そして原則とは、その上に何かを正しく築くことができるかもしれない、土台にすぎないのです。
十字路にさしかかったとき、わたしたちが赤信号で立ち止まる反応には、特別に複雑な思考過程(「停止信号を無視すれば事故を起こすだろう。警察に罰せられるだろう、命が危ない」)が先行するわけではありません。わたしたちの内部には、すでに反射パターンが形造られてしまっていて、それに従っているだけなのです、最初は原則が理解され、その後に習慣が生まれ、正しい行為は自動的なものとなったのです。このような、《行為の原型》は、外国語教育法の世界では広く知られているもので、さまざまな名称がつけられています、心理学ではこれを《ダイナミック・ステレオタイプ》と呼んでいるし、イギリスの外国語学校では、単に「ひな型」(pattern)と呼んでいます。わたしはというと、これにまったく非芸術的な、ありふれた呼び名をつけました。型紙とか、鋳型というふうに言っているのです。
(中略)原則が理解されると、型紙はすぐに出来上がります。すると、その型紙を頼りに、どんどん新しい形の服を縫い上げていくことができるのです。
型紙の喩えが気に入らない人々のために、調音叉という、もっと詩的な喩えを用いましょう。わたしたちは外国語の単語を発音するたびに、この調音叉のお世話になっているのです。わたしたちは無意識のうちにこの調音叉が響くように努力し、それを《内部の耳》で聞き取っているのです。そしてわたしたちの言おうとしていることが耳ざわりでなく聞こえているならば、わたしたちは正しく発音しているという具合になっているのです。」(ロンブ1981,p.82)
私は1年半ほど前に、彼女の本のこの部分を読んだ時、「あ〜、私が感じていたことはこのことだったのか」と思いました。語学の習得に対する彼女の感じ方と私の感じ方は、殆ど一緒だったのです。つまり、彼女はここで、
ある「文法の型(パターン、型紙)」を学んで、その文法の「型」に何度も触れたり使ったりして、少しづつ慣れていき、
↓
そのうち、その文法の「型」に完全に慣れてしまい、
↓
最終的には、今度本や何かでその文法の「型」に出会う時には、何もその文法の「型」について意識しないでも理解できるようになっており、自分が何かを話す時、文章を書く時には、自然とその文法の「型」を使えるようになっている
という語学習得のメカニズムを説明しているのです。そしてそのメカニズムを、私はこの論文では「文法の内在化」と呼ぶことにしました。
※文法の「型」の例: 英語の疑問文の作り方
「He speaks English」→「Does he speak English?」
このような英語の疑問文を作る時、ある程度英語を学んだ人なら、もういちいち疑問文の作り方を考えながら作っている人は殆どいません。なぜなら、その人の頭には既に「疑問文の作り方」の「文法の型」が内在化されているのです。
私は、外国語学習はそれの繰り返しではないかと思いました。語学習得の過程とは「文法の内在化」の繰り返しなのです。日本人がなぜ英語(またはその他の外国語)をなかなか習得できないかというと、それはまだ英語(またはその他の外国語)の文法を完全に「自分の中に内在化」していないからなのです。内在化していないから、未だに英語(またはその他の外国語)を見たら日本語に訳そうと考えてしまうのです。
そこで今度は、どうすればそのようにどんどん色々な文法の「型」を身につけていけるか、つまり、どうすればそれらの「型」を自分の中に内在化していけるか、ということであります。そのことについて、カトー・ロンブはこう述べています。
「外国語学習とは、実はこういうひな型(パターン)(型紙、調音叉)を備えていくこと他ならないのです。最大限信頼におけるひな型(パターン)を最大多数、相対的により速く身につけられる学習法を、わたしたちは良い学習法と見なします。学習者が自らのうちにひな型(パターン)を形造って行くための前提条件となるのは、できるだけ多く、繰り返し繰り返しその正しい型に出会うことです。それが本当に自動的に運用できるほどのひな型(パターン)になるまで無数の出会いを繰り返すことです。そうやってわたしたちのうちにひな型(パターン)が形成されていくには、さらにそれに対するわたしたちの能動的参加が必要です。そしてわたしたちが出来合いのひな型(パターン)を信用していなければいないほど、その効果は強力なはずです。
ひな型(パターン)を探り当て、選び分け、そしてそれを頻繁に反復するという二つの目的を手に入れるための最良の手段が本なのです、だからこそ、どんどん読もうではありませんか!」(ロンブ1981,p.84)
カトー・ロンブは、彼女の本の中で、その文法の「型」を内在化させる方法として「読書」を強く勧めています。彼女の外国語習得法は、文法を学んでいる時から読書を開始し、ある程度文法に慣れたら、後はただひたすらその言語で書かれた本を読むこと(多読)です。彼女はその読書のおかげでありとあらゆる文法の「型」に会い、それらに慣れて、最終的には自分の中にそれらの文法の「型」を自分の中に内在化させることに成功しているのです。
そして、その「文法の内在化」を繰り返し繰り返しすることによって、最終的には、その言語そのものを内在化させる「言語の内在化」をさせることができるのです。「言語の内在化」とは何かというと、文法だけでなく、その言語のリズムやその言語の考え方など、全てが自分の頭に内在化された状態のことです。
次章では「外国語のインプット」と言う観点から、この章の「文法の内在化」、更には「言語の内在化」を助ける「多読」・「多聴」について、その効果を検証していきたいと思います。
その5「1. インプットの重要性」へ
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