外国語習得法講座 その6
アウトプット―言語は実践を必要とする
2. 独りごと練習法
「外国語で独りごとを言う」というのは、少し暗めに聞こえますが、要は
「その学習している言語で考える練習をすること」
に他なりません。独りごとを言う練習法は、これまた、あらゆる人々が勧めている有名な方法で、かなり効果があります。ここで、独りごと練習法を勧めているピーター・フランクルの言葉を引用したいと思います。
「それから、高校2年のときのドイツ語の先生が勧めてくれたことがあります。それはドイツ語で独りごとを言うこと。実行してみてとてもいいことだと思いました。どんな外国語を勉強する場合でも、町を歩いているときに、できるだけいま考えていることをその言葉で言ってみる。「ここには緑がある」とか「ここには道がある」とか、「ああ、人が来た」とか、最初はそんなことしか言えないでしょう。でも、そういう簡単なことでも頭のなかでいつもいつも外国語で言っていると、人に会って話をするときはぶっつけ本番ではありません。何回も頭のなかで言っていたことをこんど声に出して言うのですから。」(フランクル 1999, p.14)
ピーター・フランクルは、その「独りごと練習法」の効果を大いに評価しており、どの言語を学ぶ際にも利用しています。彼の独りごとの練習はかなり徹底しており、彼は外国語を学んでいる時は、自分の母国語であるハンガリー語で考えることを止めてしまっているほどです。彼は外国語を学び始めたら、常にその言語で考えるように努力しているのです。彼は本の中で「独りごと練習法」の良さを、次のように大変分かりやすく述べています。
「日本語ならちゃんと「そこにはバラの花が咲いている」と言えるのに、英語では言えない。最初はそれでいいのです。「咲いている」という単語を知らなかったから「赤い花ある」とか「バラの花がある」とか「美しい花がある」でいいから、何か見えたものを頭のなかで必ず言葉にすることです。単純な文章でもいいから言葉にするという習慣がつくと、結局、いろいろな相手にいろいろな状況で会ったときでも自然に話せるようになります。(中略)
「外国語で考える」とはどういうことかというと、結局このこと(※彼の考え出した、電車の中や外の風景を外国語で実況中継する練習方法のこと)の延長なのです。家を見て「ハウス」とか、線路を見て「レールウェイ」とか、自分が勉強している言葉で単語が自動的に浮かんできて、文章が口から自然に出てくるようになる。そこからその言葉で考えることをはじめるのです。
「考える」とはなんでしょうか。それはつまり五感―あるいは六感といってもいいのですが―で認識したものを言葉であらわし、それについて考慮することです。見て、感じて、思ったこと、それを言葉にするとき、どういう言語で言葉にするのかは習慣です。それを英語にする、ドイツ語にする、あるいは中国語にする、そういう習慣をつければ、結局、その言語で考えることもしだいにできるようになります。だから、先ほど言ったように、簡単なものでいいということが大事なのです。簡単な単語なら、まだ勉強した日数があまり多くなくても出てくるのですから。」(フランクル1999,pp.119~121)
彼は、独りごとを言う際の注意として
「難しいことを初めから言おうとしないこと」
を挙げています。この論文を読んでいる人の中にも、「外国語で独りごとなんて言えるわけがない」と思っている人もいることでしょう。しかしそれは、最初から日本語で独りごとを言う時と同じぐらい高度なことを、いきなり言おうとしているからそう思ってしまうのです。外国語で独りごとを言う時は、いきなり最初から難しいことを言えるわけがありません。初めは本当に単純なことしか言えないものです。自分が言いたいことがうまく言い表せなくてむず痒く感じることもあるかもしれません。しかし、その「独りごと」の練習をずっと続けていれば、その間に使いたい単語や動詞を辞書で調べる癖がついて語彙が増え、次第に慣れていって複雑な文章まで難なく考えられるようになってくるのです。
カトー・ロンブも、彼女の本の中でこの「独りごと練習法」を勧めています。彼女は20年代にアメリカに移り住んだハンガリー人たちの例を出し、自覚的に特別な言語の学習をせずにハンガリー移民のコロニーを作って生活していた人々は、最後まで英語をちゃんと話せなかったということを述べています。この例が何を表わすのかというと、
たとえ自分が生活している国や地域(「大風土」と彼女は呼んでいる)が、外国語が話されている環境だったとしても、
自分自身やその周り(「小風土」と彼女は呼んでいる)が、その外国語を話す環境にない限り、
その外国語は話せない、
ということを表わしているのです。彼女はこのことを「言語的《大風土》に対する《小風土》の優位性」(ロンブ1881,p88)と言い表しています。つまり逆に言えば、
たとえ自分がその勉強中の外国語が話されていない国(大風土)にいたとしても、「独りごと」を外国語で行うことによって
自分の言語環境(小風土)を自分で変えてしまえば、
↓
その外国語が話せる可能性が高くなる、ということです。
私も英語とフランス語を学習している時は、積極的にそれらで独りごとを言うように努力しています。アメリカに留学していた時も、なるべく日本語で考えないように心掛けました。周りも英語しか話さない、自分も英語でしか考えないというのは、語学を学習するには大変いい環境でした。実際、語学力も大分伸びたと思います。フランス語を学習する際も、積極的に独りごとをフランス語で言うように心掛けました。現在はあまり時間がなくてフランス語の学習は中断してしまっていますが、今でも独りごとだけは気が向いたらするようにしています。独りごとを外国語でやっていれば、自分がその言語を忘れてしまう速度が遅くなる気がするからです。そして、独りごとを言う時に言いたいことが上手く言い表せなかったら、即和仏辞書を調べます。そうすることによって、私の語彙は忘却と常に戦っていられるのです。
その6「3. アウトプットを続けることによるメリット」へ
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