江津子の場合 3

江津子はどうにか彼に全てを告白し、それから一緒に喫茶店に入ることに成功した。
二人で席に着くと、お互い暫くの間どうしていいのか分からなかった。数分経った後、ようやく江津子が話を切り出した。

「…突然なんかすいません。私本当に怪しい女ですよね。本当にごめんなさい」
「いや、正直僕の方も本当に驚きました。僕、全然石川さんのこと見た記憶がなくって…」
「いえ、悪いのはこっちなんです。電車で勝手に神谷さんに惚れてしまっただけなんですから。」
「は、はぁ…」
「その、ラブストーリーは突然にというか(あー私何言ってるんだろ)、その、本当に神谷さんのことが気になってしまって…。最近神谷さんを電車で見なくなってしまって…でもやっぱり諦めきれなくて…。そっ、それで、今日神谷さんを見た時はもう頭真っ白になっちゃって、つ、つい声かけてしまったんです。」

緊張して言葉がうまく出てこない。顔も妙にほてってるし。あがり過ぎだわ。
電車の彼、神谷さんはかなり当惑しているようだった。でもなんとか話を続けようと努力しくれていた。本当に性格の良さそうな人。

「いやぁ、こんな僕にそんなこと言ってくれる人がいるなんて結構感動です。僕はこの通り、メガネかけててさえない顔してるし、その、全然顔よくないし…。それに比べて石川さん、本当に美人なんだもの。女優さんみたい。なんか驚いちゃったよ。石川さんぐらい綺麗な人ってそういないよ。」
「あ、いえ、私はごく普通の顔してるから…。そのっ、あーごめんなさい。なんか頭混乱しちゃって、思うように言葉が出てこないんです。」
うまく喋れない。困ったわ。これじゃ本当に変な女みたいじゃない。なんとか友達からでいいから、とりあえず何かのつながりを作らなくちゃ。
「そ、そんなわけで、あの…最初から付き合って下さいとかじゃなくいいので、友達から始めてくれませんか?」
それと言われて神谷はかなり困っていた。すぐに付き合うのは無理でも、せめて友達から神谷さんとお近づきになれないかしら。勝手だけれど、もう彼を手放したくない。
せめて彼と何らかのつながりと保ちたい。これでバイバイなんて絶対いや。

神谷は、顔をしかめて少し目を上に泳がせた後、すごく言いにくそうに口を開けた。
「ご、ごめん。それもできない。…実は僕、もうそろそろ結婚するんだ。」

それを聞いた江津子は頭が真っ白になった。周りを流れる時間が止まってしまったかのように。自分の耳が間違っているのかと思った。いや、聞き間違いであってほしいと思った。こんなに気になって、頭からずっと離れないくらい好きなのに。やっと偶然街中で見つけ出したのに。

「本当にごめんね。それなら最初から喫茶店に入る前に言うべきだよね。でも、さっきは石川さん、本当に真剣だったから。どうもその場で「結婚します、さようなら」みたいに簡単に言うのは失礼かと思って…」

江津子は暫く喋ろうとしても声がうまく出なかった。口をぱくぱくさせては閉じ、またどうにか喋ろうとしても言葉にならなくて、それから下を向いたら、つい涙がはらはら目頭から流れ出てきてしまった。いきなり声かけて喫茶店まで付き合ってもらった上に、更に失礼なことしている自分が腹立たしかった。けど、この両目から流れ出る熱い涙はどうにもならなかった。
困ってしまったのは神谷の方だ。彼は自分がひどく嫌な人間のように思えた。こんなに綺麗な人を泣かせてしまうなんて。誠実な彼も、しばらくどうしていいのか分からなくて、その場で前後に体を揺らしてしまっていた。
「ご、ごめん、本当にごめん。」
神谷は大変申し訳なさそうに言った。
江津子はすぐに涙を拭いて困っている彼を安心させたかったけれど、このあふれ出る涙は暫くおさまりそうになかった。涙を止めようとすればするほど涙が出てくる。こんな状態では、下を向いた状態から体を戻すこともできない。
神谷は江津子の涙がおさまるまで、ずっと静かに待っていた。ここは下手に声をかけても無駄というかむしろ逆効果だと思ったからだ。

10分後、江津子は漸く自分のあふれ出る涙を押え、ハンカチで拭いて正面を見た。
あ〜なんてぶざまなんだろう。今きっと目がすっごく真っ赤なんだろうな〜。まぶた腫れてるのかな。神谷さんに本当に悪いことしちゃったな〜。神谷さんは本当に全然悪くないのに…。
「…ごめんなさい。なんか、自分ではどうすることもできなくて」
「いや、こちらこそごめんなさい。なんか僕がよかれと思ってやった行為が、結果的に石川さんを余計悲しませる結果になってしまって」
「神谷さんはご自分を責めないで下さい。私、本当に神谷さんに迷惑かけちゃいましたね。…でも、告白してよかった。告白しなかったら絶対後悔してたと思うし。それに、今は泣いたおかげか結構すっきりしてるんです。強がりとかじゃないですよ?彼女がいるからとかそういった理由だったら諦めきれないかもしれないけど、結婚っていったら、さすがに諦めきれます。相手の方は神谷さんが素敵だって思ったいい方なんだろうし。それに神谷さんが、私の予想通りすっごく誠実でいい方だって分かっただけでも本当によかった。自分の目に狂いはなかったんだって思えます。」
「石川さんに、そこまで言われると、僕もなんだかてれてしまいますよ。なぐさめとか、お世辞とかじゃなくて僕本当に思うんですけど、石川さん本当に綺麗だから、僕なんかより、ずっとずっといい人が見つかりますよ。僕だって結婚が決まってなかったら、心揺れてたかもしれないし。はははは」

本当にいい人、最後までいい人。最後までフォローしてくれてるのね。本当は結構強がりだったんだよ。

江津子は、ここで会話を終わらせてもよかったけれど、もう1つだけ神谷に聞いてみようと思った。
「…あのすいません、ここまで迷惑かけておいてなんなんですけど、最後に1つだけ聞いていいですか?」
「え、あ、はいどうぞ。」
「神谷さんがご結婚される方ってどんな方ですか?」
神谷はいきなり顔が赤くなった。顔が一気にほころんだ。恥ずかしがってるけど少し嬉しそうだ。
「…いやぁ、普通の女性なんだけど、少し男の子っぽい雰囲気があって、見た目少し性格が強そうなんだけど、すっごくいい子なんだ。口ではずけずけと言うけど、本当はすごく繊細で、後で自分が言ったことが人の気分を害してなかったか、いつも結構悩んでるみたいでさ。なんだか、第一印象と裏腹なその性格を知ったとき、守ってあげたくなってさ…」

江津子はそれだけ聞いて満足した。相手の人がどういう人かなんて実はどうでもよくて、自分が好きになった神谷が、女性の外見より内面を重視する、いい男性だと再確認できたのだから。本当に誠実でいい人。やっぱ結構もったいなかったかな。

その後江津子は喫茶店を出て、神谷と気持ちよく別れた。電話番号を聞くとか、そんな未練がましいこともしないで、さわやかに別れることができた。いい恋愛をしたと思った。やっぱりいい恋愛っていうものは、たとえ振られても、その人のことをまだ好きでいられるものなの。振られたからその人を嫌いになるというのは本当の恋愛じゃない。見せかけに騙された恋愛よ。

次の日のお昼休み、いつものように実加と食べる。早速昨日あったことを全て実加に報告しようと思ったら、今日は実加の方が何か言いたそうだ。
「あのさ、まず江津子に謝りたいんだけどさ…」
「え、何を?」
「その、昨日、江津子が真面目に話してくれてたのに、笑っちゃって悪かったかなって思って。」
江津子は一瞬驚いた。確かに昨日は少し気分悪くしたけど、そんなことを実加から謝られるとは思わなかった。私、顔に出てたかしら?そんなこと謝ることでもないと思ったんだけど。なんか今日の実加変なのぉ。
「あ、そんなこと別に全然気にしてないよ〜?」
それを聞いて、実加は少しほっとした表情になった。でもまだなぜかモジモジしている。まだ他に言いたいことがあるみたい。

「あとさ、実はね…」
「え、何?」
「…今年の秋に結婚することになったんだ…」
「えっ??」

江津子は正直驚いた。え、この実加が?彼氏がいたこともしらなかった。へ〜、彼氏いたんだ。恋愛に感心がないんじゃなくて、この子はそういうことをあんまり話したがらない子だったのね。なんか先越されたけど、いい恋愛した後だからからかな、素直に祝福したい気分。昨日と今日と、結婚話が続くのね。
「あ、驚いた?ごめんね、今まで全然そういう話してなくて…」
実加の顔は少し赤くなってた。
「ヒューヒュー!実加結構やるじゃん!今ほんとに驚いちゃったよ〜。今まで隠してたわけ?水臭いね。なんか彼氏の写真とか持ってないの?彼氏見たい見た〜い。」
「え〜写真なんて恥ずかしくて見せられないよ〜はははっ! だって、うちのはすっごいどんくさそうで、ダサいもの〜! …あ、でも携帯の荒い画像でいいなら一枚だけあるけど…見る?」
実加はそういって、江津子の方へ携帯を差し出した。
「ん〜どれどれ、お手並み拝見!……」
江津子の動きが一瞬止まった。なぜなら、携帯に写っていたのは神谷だったから。
でも江津子はすぐ笑顔で言った。

「実加、本当におめでとう。彼すっごくいい人そうじゃん」

おわり

inserted by FC2 system