和佳子の場合 1

「海よりも深く君を愛す」
あの言葉は一体何だったのか、彼はそれを私に言った次の日死んだ。交通事故だった。彼のしつこい告白攻撃は本当に長期にわたるもので、半年ぐらい続いたであろうか。私はひたすらそれを聞かないふりをして無視したり、拒み続けていたりしていた。うそ臭い彼の言葉にはどうも心が動くものではなかった。でも、あれらは本当に彼の本当の気持ちだったのだろうか。言葉を選ぶのがうまくない人だったのかもしれない。
全然悪い人じゃなかった。本当に面白い人だった。話が面白くていつも笑わせてくれた。顔もそんなに悪い顔じゃなかった。平均的だったけど決して悪い顔じゃなかった。

じゃあ、何で私は彼の気持ちに応えてあげられなかったのか。

彼は本当にいい人で、ずっとずっと友達でいたかった。恋人として付き合ったら、その楽しい関係はきっと崩れて、愛が終わった後もう今までの関係には一生戻れないと思ったから。それだけは嫌だった。ずっとずっと友達として楽しく時間を過ごしたかった。

和佳子は無意識的にだったが、3ヵ月前に死んだ寛生とよく座っていたベンチで時間を過ごすことが多くなっていた。気がつくといつもそこに座っている。自分ではもうとっくに分かっているはずだったのに、そのベンチに座っていれば、また前のように寛生が「和佳子暇そうじゃん」とか声をかけに来てくれる気が、頭のどこかでは思っていたようだ。
周りで和佳子を見てる友達はつらかった。口では平気だと言い張っている彼女だが、最近の和佳子はどこか魂が抜けてしまったようで、見るのもつらい。周りはなるべく寛生の話題を出さないように頑張っているのだけれど、肝心の和佳子が、寛生の話題をよく思い出したかのようにし始めてしまうのだ。

「美希〜、寛生がよく言ってたよね、俺はいつかビックになるとかお金持ちになるとか。私あれは絶対無理だと思ってたよ。だって寛生は人が良過ぎるんだもん。いつも自分のことは後回しで、人助けばっかりしてたじゃん。試験前なんかさ、寛生は真面目だったから、よく誰だか分からない人たちにノート貸してくれとかせがまれてさ、私はそんな勿体無いことするなって言ってあげたのにさ、結局話したこともないクラスメイトたちに全部コピーさせてあげちゃったんだよ?私には殆どノート見せてくれなかったのにさぁ。和佳子は頭がいいから、勉強に人に頼っちゃだめだとか言ってさ。なんなの?とか思ったけど、結局なんだかんだいい人過ぎたよね、寛生は」
「ははは、そうだよね…。和佳子には悪いけど、私も寛生に何度かノート借りちゃった…。ごめんね」
「はぁ?なんで美希が私に謝んの?悪いのは全部寛生なんだから」
「でも寛生のノートは本当に面白かったよ。落書きばっかりなの」
「そうかもね〜。なんかいつも授業を隣で受けてると、いつも必死に何かしら描いてるんだよね。私が見せてって言っても絶対見せてくれなかった」
「う〜ん、和佳子にはきっと見せたくなかったんだよ」
「私が絵が下手だとか、色々文句を言うとでも思ったのかね、ははは」
「ってわけじゃないと思うけど…」

「っはぁ…」和佳子と別れた後、和佳子の友達の美希は思わずため息をついた。美希にとって、最近の和佳子との会話ほど疲れるものはなかった。どんな話題を振っても和佳子は結局寛生の話を持ち出してしまう。気疲れの連続だ。和佳子が悪いんじゃないのは分かるけど、少しの間寛生のことを忘れてほしいと思う。どこから見ても恋人同士のように見えていた二人組。美希はなぜ和佳子が寛生のプロポーズを断り続けたのか分からなかった。何度か、寛生からも相談を受けたことがある。

「なぁ、美希、俺ってそんなに魅力ないかな?自分で言うのもなんだけど、俺たちすごい仲いいじゃん、1年の時クラスで集まった時に席が隣同士で意気投合してさ、お互いテニスやりたかったから、サークルも同じのに入ってさ、授業も大体同じの取って、もう3年も毎日のように一緒にいるんだぜ?自信過剰かもしれないけど、俺が告った時、和佳子に断られるなんて、全く想像もしてなかったんだ」
「う〜ん、正直私にも意外なことだったんだよね。私も和佳子が寛生と付き合うものだとずっと思ってたんだけどな。ってか1年の時から付き合ってるんだと思ってたんだけどさ、実は。案外長い間単なる友達でいたのね」
「本当だよな〜。俺も何度か和佳子と付き合ってるんだろ、って言われてて、自分も、まぁそんなもんかなって思ってたんだけどさ、どうやら和佳子には違ったみたいなんだよね〜。…あのさ美希、探るようで悪いんだけど、和佳子今誰か好きな人がいるわけ?」
「っいや、そんな話は聞いたことないよ〜?芸能人で誰々がかっこいいとか、ベッカムにはまってるとか、そんなようなことしか聞いたことないよ〜?」
「ったく、分かんねえ女だな〜」

寛生が死んでまだ3ヶ月、美希にも、そんなような会話がつい昨日のことかのように思い出されてしまう。なんで和佳子は寛生のプロポーズを断り続けていたのだろう。大学に入ってからずっと友達でいたけど、そればかりは全然分からない。今は本人に聞ける話題じゃないし。

木曜2限目、この時間帯はサークルの溜まり場にいつも誰もいない。和佳子ははじっこの椅子に腰掛けて、財布の小さなポケットから1つの指輪と取り出した。寛生から無理矢理渡された指輪。付き合えないからいらないって言い張ったのに、裏にお前の名前を彫っちゃったから、他の誰にもあげられないって半ば強引に渡された指輪。寛生が死ぬ約1ヶ月前に渡されたけど、結局ずっと持っていただけで、一度も指にははめなかった。一度ぐらい寛生の前ではめてヤツを喜ばせてやろうかとも思ったけど、結局なんだか寛生の作戦にはまってしまう気がして、意地で一度もはめなかった指輪。一時間ずっとその指輪を眺めていた。寛生が交通事故に遭った日、この指輪を初めてヤツの前ではめてやろうと思ってたんだ。「でも付き合ってあげないよ〜ん」ってからかう言葉まで用意してたんだ。なのに何で死んじゃうの?

つづく

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