日目。(2月10日)
 リヨンにもう既に2日もいたというのに、考えてみれば、やりたかったことを半分も終わらせてなかった気がしたので、4日目の今日は、昨日作った「Must Do」リストに従って、朝からちゃんと動くことにした。 朝起きたら、友達のアパートから「H」型のきれいな飛行機雲が見えた。とてもキレイだった。…しっかしフランスは飛行機雲が多い。午前中は友達と一緒に昔めぐりの旅をすることにした。昔といっても3年前の留学当時のことであるが。

 パールデュー駅前から出ている「トラム」という路面電車に乗って、私が昔通っていた学校の方まで行くことにした。乗り心地はいいが、もう少し古都リヨンの外観を害さないカッコイイ電車にしてくれればもっとよかった。私は3年前の開通時から、この電車のことを心の中で「いもむし」と呼んでいる。


 3年前毎日通った通りを歩いて、4ヶ月半住んだ寮の前にたどり着く。寮というか、正確にいうと、簡易的なホテルといったものだったが、部屋の広さや便利さはとても気に入ってた。私の当時の部屋は405号室。この寮の中では、大きめな部屋だった。友達の部屋はこの通りの裏側に面しているので、見えなかったが、私の部屋は表側にあるから、写真を撮った。でも改めて見ると、自分の部屋の窓がどれなのか確証が持てなかった。

 

 寮の斜め前のパン屋(と思っていたが、正確にはケーキ屋さんだったことが発覚)で、パンオショコラを友達と食べる。留学中、リヨン市内のパンオショコラを色々試したものだが、最終的には、自分の寮の目の前にあるこの店が一番おいしいということが分かったのは、3年前の帰国直前のことだった。灯台下暗し、ネロの絵画のようである。訳あって、3年前の帰国当日に食べられなかったこのパンオショコラを、この日に食べようと思ったのである。おいしかった。ついでに、昔何度も食べたケバブ屋の写真も取っておいた。残念ながら今回の旅では、そこのお店のおいしいケバブを食べる機会はなかった。

 私が通っていた大学の教室は、寮からわずか5分のところにある。教室に入るまでに5分、という意味で、実際学校の玄関にたどり着くには2、3分あれば十分か。毎日開けてた無駄に重い玄関扉を開け、毎日座っていた教室に向かう。…しかし教室の前にはたどり着けなかった。全く知らなかったが、私が使っていた2階の教室は、最近では全く使われていないそうである。2階への階段の前に、重い鉄格子の扉があった。学校の受付「レセプスィヨン」の中も、もぬけのカラであった。寂しげに書類が少し散らかったままになってたりして、見たときは少し悲しかった。

 ついでだから、学校のトイレにも久しぶりに入ってみる。変に地下に作られていた古めのトイレで、留学当時、その暗さと陰険さが嫌で、一回も使わない友達もいた。中に入ってみると、ドアとかがすごくキレイになってた。昔はもっと落書きだらけだった気がする。3年前は、8個ぐらいある個室の3割ぐらいは、座る部分が取れてて、どうやってこの冷たい便器に直接腰掛けろというのか、とても不思議だったけれど、今では、どのトイレにも座る部分のプラスチックが付けてあった。今だにこのトイレほど不思議なトイレはないと思うが、このトイレは、トイレットペーパーが個室の外にハンドタオルのように設置してある。最初はすごく驚いたが、このトイレでは、個室に入る前に、自分が必要な分だけのトイレットペーパーを取った後、それを手に個室に入るのである。個室内にはトイレットペーパーは設置していない。だから、紙の容量を自分の腹の状態とよく相談してからじゃないと、後々後悔することになる。ふふふ。

 私が毎日寮とスーパーの間を往復するために使っていた通り。あの「いもむし」も、こうして見ると、不思議と景色に溶け込んでいる。この写真は、私のお気に入りの一枚である。→

 それから私たちは、ベルクール広場の方へ歩いていった。その日は火曜日だったけれど、私が昔通っていたソーヌ川沿いの朝の市場が、小規模ながら開かれているそうなのである。歩いている途中にあった、私の大好きなパン屋No.2のところで、パンオレザンとクロワッサンを買う。私は、この店のパンオレザンが、世界一おいしいパンオレザンだと信じているので、友達の分と2つ買いたかったのだが、丁度残っていたのは最後の一個、仕方なくもう一個はクロワッサンを買って、二人で半分ずつ食べることにした。久しぶりに食べたが、やっぱり両方ともおいしかった。パンオレザンは、とぐろ巻きのパンなので、半分にするのに、非常に苦労した。手がベトベトになった。でもそのカスタードクリームが非常においしい。

  私たちが座った広場の石の椅子の近くで、昔の戦死者に敬意を示しているような式典が行われていた。軍服の人が何人もいたようだが、わけも分からぬまま、すぐ終わってしまった。

 ソーヌ川にたどり着く。火曜日の市場は、普段行っていた日曜日の市場に比べ、予想以上に小規模なものだった。物足りない、というのが正直な感想であるが、でも火曜日に市場はやってないだろうと思っていたから、あるだけで結構満足した。どうせ何も買う気はないのだし、閑散とした市場を、昔を思い出しながら歩いた。
  市場の端っこで柴犬を発見!これは非常に珍しい。フランスの犬といえば、どれもトリマー行ってきましたバリの、くるんくるんのぬいぐるみのような犬が多いのだが、彼の周りには、なぜか日本風の風をただひたすら振りまいていた。

 市場を見学した後は、ベルクール広場近くのFNAC(昨日の日記参照)に入る。ここのFNACは、モールのよりずっと大きくて、私が一番よく暇つぶしに行ったお店である。3階建てで、一階が電化製品とカメラ系、2階がCDとDVD,3階が本屋になっている。懐かしかったが、欲しいCDは全部昨日買ってしまったので、今回は、懐かしむためだけに寄ってみた。

 その後は、FNACの裏にあるカフェで一休み。一回だけ入ったことのある店だが、友達と入るのは初めてである。いや〜、こういうところで飲むエスプレッソほど好きなコーヒーはない。あの小ささ、昔はむかつくほど小さく感じたが、今となっては、この小さなカップ一杯のエスプレッソを飲むのにも、大分時間がかかるようになった。大抵誰と飲みに行っても、私ほどチビチビ時間をかけて飲む人間はいないようである。

 その後は、友達推薦のサンドウィッチ屋で、大きめのハンバーグ3つとフライドポテトを山ほど詰めたようなサンドウィッチを買って、二人で歩きながら食べた。今日のお昼。おいしかったが、無駄にデカイ!途中から二人ともいっぱいいっぱいになって、苦しくなった。ハンバーグの方は何とか食べられたが、ポテトの方は途中からギブアップ。サンドウウィッチが入ってた紙袋に、途中からはさんであったポテトを取ってためていくようになった。歩いて食べるのも辛くなったので、途中で見つけた椅子に腰掛けて、残したポテトをスズメにあげながら、少し休んだ。

 その頃までに二人ともかなり歩いてしまっていたので、帰りは、地下鉄に乗ろうかとも言っていたが、お腹がいっぱい過ぎる、こりゃいかんと友達に頼んで、食後の運動を兼ねて歩いて帰ることにした。途中の友達がよく使うスーパー(CASINOと言うが、単なるスーパーの名前)で、友達が夕食分の買い物をした。私は明日パリに戻らなければならなかったけれど、どうしてもAsti社が出しているシャンパンと、CASINOブランドの安ソーダで割った「OLD NICK」という甘いリキュールが飲みたかったので、そこで買ってしまった。 夜一緒に飲んで、残ったら友達に後日飲んでもらうことにした。(写真は、飲んでいる時のものであり、昼から飲んでいたというわけではない)

 二人とも友達の寮に帰った時はヘトヘトで、でも私の一日はそこでは終わらない。今までに着た服の洗濯をしなければならなかった。今日やっておかないと、明日以降かなり困ってしまうのである。大して多くなかったので、友達の風呂場を借りて手で洗濯した(それらの洗濯物は、明日の出発直前までなかなか乾燥してくれなかった)。

 友達は学校の授業があるらしいので、その時間に寮に帰ってきたわけだが、足が疲れすぎてあまり授業に行く気がなさそうだ。しかし私はその日、まだまだやることが残っていたので、少し休んだら、今度は一人で出発した。

 まずは、パールデュー駅で、明日のパリ行きのTGVのチケットを買う。以前のように、チケット販売機で値段と時間を調べるが、自分が乗りたかった8時発の電車は、なぜか異様に高い。何度調べても10ユーロ以上行きより高くなってしまうので、仕方なく9時発の電車のチケットを買うことにした。

 それから私は、リヨンで一番有名な、丘の上にあるフルビエール教会に、リヨンの全景を望むため出発した。3年前は、写真撮影に失敗していい写真が取れなかったのである。地下鉄か「いもむし」電車を使おうとしたが、なぜか私はそこでお金をケチりたくなった。
  リヨンのチケットシステムというのは、日本のと違って、1時間以内であれば、1チケットで乗り降り自由である。途中下車も1時間以内なら可能だ。しかし、1時間を過ぎてしまうと、たとえ近場にしか移動してなくても、遠くまで行こうとも同じ値段だ。何となくむかつく。(→丘の上のフルビエール教会)
  フルビエール教会までなら、1時間以内で軽く行ける距離なのだが、私はその途中にある、自分が昔慣れ親しんだスーパー(これもCASINO。チェーン店である)に、どうしても寄りたかったのだ。寄ってしまった場合、1時間以内では教会まで行けないような気がした。しかも、フルビエールの丘のふもとにあるリヨン旧市街にも、もう少し写真を撮るために立ち寄りたかった。つまり、1切符で行けるところに、最悪3倍の料金を払うはめになることが分かったのだ。

 今考えてみれば、大した金かからないのだから、そのくらい地下鉄で行けよと思うのだが、その日の私は頭が悪かった。まず、途中のスーパーまで徒歩で歩くことにした。これで一切符分の値段が浮く。パールデュー駅からだと、徒歩でおよそ30分の距離である。
 久しぶりのスーパーは、まるで3年前にトリップしたように何も変わってなかった。人も殆ど変わっていないようだ。4つか5つレジがあるのだが、そのうちの3人は、3年前と全く変わらない顔ぶれだった。日本じゃ考えられない。店内の棚変えも殆どない。それはとても嬉しいことだったが、でもやっぱりタイムトリップしたような感覚があった。そこで炭酸のペットボトルと、夕食のための一品料理を買う。

 いけない、日が傾いてきてしまった。これでは、リヨンの全景写真が撮れなくなってしまう。そう思った私は、リヨン旧市街に立ち寄ることを諦め、そのスーパーの前の地下鉄駅から、一気にフルビエールの丘の上まで上がることにした。途中で登山列車に取り替えれば、丘の上まで電車で上がれるのである。

 一度しか乗ったことのない登山列車にも無事に乗り換えられ、丘の上の終着駅にたどりついた。あれ、こんな駅の名前だっただろうか?その駅は"St.Just"という名前だったが、初めて聞く名前のような気もした。駅から外に出てみる。あれ?駅のすぐまん前にフルビエールの白い教会があるのではなかっただろうか?私の思い違いだろうか、とにかく上に向かう道があったので歩いてみることにした。3年前だったから道を忘れてしまっただけなのかもしれない。きっと少し上に登れば、すぐあの白いきれいな教会が見えてくるだろう…

 しかし、歩けど歩けど、知らない住宅地の中に突入してしまい、道に迷ってしまった。日も段々暮れてくる。こんな私も焦り始めてきた。今まで2度きたことのあるはずのフルビエールの丘である。なんだこの住宅地は。見たことがない。途中でキレイなベンチを見つけて写真を撮ったりもしたが、右も左も分からぬまま、ただひたすら歩き続けて、時間が経つにつれてどんどん不安になってきた。

 途中で何度かバスとすれ違う。バスの行き先はフルビエールである。そっか、このバスの行く方向に歩いていけばいいのか!そう思ってそっちの方向に向かったが、行けば行くほど間違った道の気がした。そして、ふと後ろを振り返ったら、先ほどと同じようなフルビエール行きのバスが、今度は、さっき自分が歩こうとしていた、別の方向の方に曲がったのを見た…どうやら、私が見たバスというのは、巡回バスのようなのだ。フルビエールに向かう時も、去るときも、同じ「フルビエール」というバス名を付けていたのだ。しかも、いろんな道から出てくる。どうやら、この辺り一帯を、くねくねくねくね回り続けているようなのである。これでは、どっちの道がフルビエールへの道なのか、判断が付かない。

 私は今まで歩いていた道に見切りを付け、別の道を歩くことにした。そっちの方が正しそうだ、という単なる直感である。その道も、歩いても歩いても、曲がらないで真っ直ぐ伸びており、このままでは、丘を下ってしまいそうな勢いだった。でも、ようやく横に道があり、しかも、高い住宅の建物の間から一瞬教会が見えた気がした。直感でそっちにずっと歩き始めた。随分散歩道みたいな道を歩かされたが、ついに、教会の裏側と思われる部分が見えるようになった。教会の裏側なんて、2度来たが見たことない。ようやく私は、降りる駅を間違えたのではないかと思った。逆方向から延々教会を探して丘を登ってきたらしいのである。

 周りは真っ暗になり始めていて、半べそかきそうだった私は、本当に嬉しかった。てっきり遭難するかと思った。時計を見たら、友達に帰宅時間として設定していた6時を過ぎていた。全く知らない道だったけれど、教会の方向にただひたすら歩いたら、ようやく教会の横に出ることができた。まず私が以前描いた「青い天使」の実物を近くで見られないもんだろうか、と思ったが、この像を間近で一般客が見られるのは、夏の期間に限られるようだった。(右の写真は暗くなった後下から撮影した青い天使像)

 夜景の写真(既に夜景撮影になってしまっていた)のベストスポットを探していた私に、フランスのお兄さん二人組みが声をかけてきた。「この近くでレストランを知らないか?」と言う。私は3年前の記憶を頼りに、教会のもう片側に一軒あることを教えた。「それ以外ないか?」と聞かれたが、そんなこと旅行者の私が知るわけないので、知らない、ごめんなさいと答えた。ったく、フランス人は、たとえ怪しい外人旅行者でも、こういった類の質問を平気でしてくるから不思議である。フランス語さえ話せない人間かもしれないのに、そういった心配はしないのだろうか?

 ベストスポットは教会のもう片側だった気がしたので、先に教会内を覗きに行った。教会内は、当然のことながらフラッシュをたけないため、写真の撮影は困難を極めた。フラッシュを使わない暗い場所の撮影は、二日目に夜景を撮影した時のように、ブレてしまうことが殆どなのである。3脚を持っていないといい写真は取れない。教会内から出ると、あたりはもう、ほとんど日が暮れていた。キレイな飛行機雲、もう一枚撮れた。真っ白なフルビエールの教会も、夜はライトアップされてて、とってもきれいだった。(容量が重くなってきてしまったので、写真を見たい方はこちらをクリック

 教会のもう片側には、やっぱりリヨン全景のベストスポットがあった。本当は晴れ晴れとした昼間のリヨンを撮りたかったのだが、迷ったおかげで夜景撮影になってしまった。でも、昔誰かがリヨンの夜景はとてもきれいだと教えてくれたのを思い出して、案外ラッキーだったかもしれないと思った。案の定ブレてしまったけれど、とてもキレイだった。3年前、初めて晴天の日に友達とこのベストスポットに来た時、友達が近くの少し高めのカフェでコーヒーを飲みたがったのだけれど、私は貧乏性だったから断ってしまった。今思えば、付き合ってあげればよかったと、同じ場所に帰ってきたこの日ふと思った。

 さて、問題は帰りである。私はその時まで、きっと降りる駅を間違えたに違いないと思っていた。実際、教会のすぐまん前に「フルビエール」という地下鉄駅があったのだ。やっぱりそうだ!と喜んで入って行ったら、すぐ鉄格子がしてあって、駅の中に入れなかった。張り紙に「2月○日〜2月○日まで工事のため閉鎖」と書いてあった。唖然とした。恐らく登山列車は2線あったのだ。私が乗るはずの登山列車は工事中で、きっと地下鉄から登山列車に乗り換える駅で、その線の存在に気づかず、別の登山列車に乗って終着駅のSt.Justに降りてしまったらしいのである。(実際に友達の寮に帰った後地下鉄の路面地図を見せてもらったところ、事実登山列車は2線あった。私はてっきり1線しかないと、今までずっと思い込んでいたのだ)

 私の間違いの原因はこれで解明したが、問題はこれからどうやって帰るか、である。またもと来た道をたどって帰るのはこりごりだ。迷いながら歩いて40分ぐらいかかったからである。しかもこんな真っ暗の中歩くのなんて絶対嫌だ。周りを見回すと、近くにバス停があった。何人かの人が待っていた。

 そうかバスで丘のふもとまで降りればいいのか、と思っていたが、時刻表を見ると、予定時間になってもバスが来てないようである。しかも、バスの行き先は、丘のふもとではなく、私が苦渋をなめたSt.Just駅のみであった。そこから登山列車で下りよ、ということなんだろうが、なんだか嫌な気分になった。そして更に、待っていた方々は「すぐ帰るのをやめて、近くのレストランで食べてみようか」と考え直したらしく、バス停から離れてしまった。

 一人暗い中ぽつんとバス停に残された私は、もう我慢の限界であった。早くこの場から離れたい。寮に帰りたい。お家に帰りたい…長時間迷いに迷わされた私は、精神的にひどく疲れすぎてしまったようだ。あと5分でも待てばバスが来るのかもしれないが、もし来なかったらどうする?頭がぐちゃぐちゃになって、ついに頭の中の、一本の細い線が切れた。私の足が大またで坂を駆け下り始めた。半分気が狂ってしまったようで、丘を足で駆け下りようと思ってしまったのだ。一度歩いて下ったことがあるし、疲れるけど、それが一番早い気がした。同じ所にこれ以上留まるのは、もう嫌になってしまった。(結局バス停では3分と待っていないのであるが)

 行きと違って、帰りはただただ、下り続ければよい。私はただひたすら、「千と千尋の神隠し」の前半で、千尋が壊れかけた裏の階段を下っていたら、足が止まらなくなってしまったというシーンの再現のように、急な坂道をただひたすら、足が勝手に前に出てしまうのに任せて駆けて下り続けた。その時までに、今日は既に歩きすぎていたから、ももなり、ひざなりが、がくがく音を立てているようだったけど、そんなことはお構いなし。ただひたすらフルビエールのふもとに帰りたかった。

 それでも途中ではリヨン旧市街の写真を撮るのを忘れない。そんな自分はまだ正気を保っていたところがあるようである。途中でとても長い下り階段があり、これなら一発で旧市街でに下れる道があったけれど、階段だと、大またで駆け下がれないので、遠回りしてまでも坂を下り続けた。結局30分もかからず丘を下れたらしい。

 やっとふもとの旧市街の中に戻って来た時の感動は一入である。最後にちょっと不本意な形だったかもしれないが、こうしてリヨン旧市街はもう一度眺められてよかった(夜のリヨン旧市街)。

 しかも何を思ったか、道の一角にあったカバン屋のショーウィンドーを眺め、気に入ったカバンがあったので、真っ赤な顔して(普段全く運動をしていない人間なので、こんな激しい運動の後は、顔がほてってしまって、大分時間が経たないと直らない)、カバン屋のおじさんにそのショーウィンドーのカバンを見せてもらう。ブラウンで統一されたタイプと、青を入れたタイプの2種類があったようだが、私はショーウィンドーにあった、青が入ったカバンを衝動買いした。いや、事実いいカバンだったし、安かった。(写真はのちほど家で撮った写真である)

 帰りは地下鉄でも顔が赤いまま、友達の家の方まで帰った。地上に戻ったという感じがして、とっても嬉しかった。帰ったら7時半を過ぎていた。とりあえず約束していた時間は6時だったから、1時間半も遅れたが、まぁ、友達もそこまで気にしてなかったようである。これで私はフランスに初めて来た人間だったら、ずっと心配したんだろうが。

 その日は友達が、スペイン風のオムレツを作ってくれた。菓子しか作れないのかと思っていたが、料理すれば、一通りできるのかもしれない。形も味もとってもいいオムレツだった。昼間買ったシャンパンのAstiも、リキュールのOld Nickも、予想以上においしかった。あぁ、3年ぶりの再会の味だ。やはり昔の私の舌に狂いはなかった(当時はOld Nickは甘すぎて飲めないと友達に言われていたが、甘党の私にはばっちりくるリキュールである)。私が途中でわざわざ寄ったCASINOで買った一品料理も少し調理し(といって焼くだけ)、それも久しぶりに食べられてよかった。

 会の途中で、友達のスペイン人の友達が、友達のパソコンを借りにきた。スペイン人にしてはすごくおっとりしてて、どちらかというとスローテンポな方で、結構驚いた。ステレオタイプっていけないわね。彼女が予想以上長居(というと失礼か)したので、私の出発準備は大幅に遅れてしまった。しかも、彼女がドラえもんが好きらしいので、夜な夜なドラエモンの絵まで描いてあげて、後日友達を通して渡してあげることにした。直接渡すのは恥ずかしいと思ったからである。

 おかげで眠りに付いたのは2時半ぐらいだった気がする。最後の最後まで私のハチャメチャな生活に付き合ってくれた友達に感謝。そして、日記長くなりすぎてすみません。

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